服の九割が黒だ。
デザインはほとんど入っていない。全部ルーズフィット。買う店もだいたい決まっている。
昔からそうだったわけではない。
流行っているもの。デザインがきれいなもの。ただなんとなく惹かれたもの。
その三つが全部選択肢に入っていた頃は、服を買うのにひどく時間がかかった。見るものが多くて、考えることも多くて、それでいてよく失敗した。
きれいなものと、自分に合うものを、見分けられていなかった。
三つが並んでいると、これは本当に自分に合っているのか、という判断が濁る。流行っているという理由も、きれいだという理由も、それ自体は間違っていない。間違っていないから、なおさら押しのけてくる。
今は決めてある。
目につくもの——服と鞄は、黒。
目につきにくいもの——靴下と靴と小物は、思い切っていい。
だから朝、迷う時間がない。考えることもない。それでいて、服を褒められることは前より増えた。
選ぶものが減ったのに、見えるものは増えた。
同じ黒の中にも違いがある。生地が変われば落ち方が変わるし、丈が少し違うだけで別の服になる。前は見えていなかった。選択肢が広かった頃は、そこまで目が届かなかった。
狭くしたから、中が見えるようになった。
毎日違う服を着る楽しさは、たしかに手放した。
ただ、僕はその楽しさをうまく扱えなかった。選択肢が多い日ほど時間がかかって、選んだあとで後悔することも多かった。
楽しいというより、面倒だった。
最後に、ひとつ。
ニーチェは『悦ばしき知識』の中で、自分の性格に「様式を与える」ことについて書いている。自分の強いところも弱いところも全部見渡したうえで、一つの計画の中に収める。そうやって、どれもが一つの形として見えるようにする。稀で、大きな技術だと。
ニーチェは服の話をしているわけではない。それでも、たぶん同じことだ。
選ばないと決めることも、選ぶことのうちに入る。
