タグ: 人間観察

  • もっと言えばいいのに

    もっと言えばいいのに

    二人が出てくる動画を、しばらく見ていた。

    一人は、目に入ったものを忙しく説明する。もう一人は、そうそう、なるほど、ほんとに、と言う。

    途中で気づいた。この人、それしか言っていない。

    そこからは、そればかりが耳に入った。

    苛立った。

    もっと言えばいいのに。何か思っているはずなのに。隣で説明している人は、それで足りているのだろうか。

    僕なら、割って入る。比べて、付け足して、別の見方を出す。そうしないと、聞いた気がしない。

    ただ、画面の二人は楽しそうだった。

    説明する側は、そうそう、と返ってくるたびに先へ進む。止まらない。足りていないようには、見えない。

    足りないと思っていたのは、僕だった。

    あの二人の間では、あれで足りている。足りていないのは、僕の側の何かだ。

    では、あの人は何を考えているのか。

    隣の話を自分でも比べているのか。何も比べずに聞いているのか。聞くだけで楽しいのか。

    外からは分からない。

    分からないから、また見ている。

    最後に、ひとつ。

    ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』の中で、他人に寄せる期待は、自分が自分について信じたいことを漏らしている、という趣旨のことを書いている。

    僕があの人に求めたものは、僕が僕に求めているものだった。

    それでも、聞きたい。

    あの人はいま、何を考えているのだろう。

    左は筆が密で騒がしく、右は空いて見えるが同じだけ筆がある絵
  • なぜそう思うのか、が知りたいだけ

    なぜそう思うのか、が知りたいだけ

    学生のころ、宇宙人と呼ばれていた。

    悪口ではなかったと思う。ただ、言うことが突拍子もないらしかった。

    みんなが話している流れの、少し横から口を出す。関係のないことを言い出す。そういう扱いだった。

    今でも、たまに言われる。

    ただ、僕の中では突拍子もない。

    Aを聞いて、前に見たBを思い出して、両方に共通するCがあると気づいて、ではDはどうなんだろう、と考える。

    そういう順番で頭が動いている。

    ただ、AからDまでの途中を口に出さないだけだ。だからDだけが、何の前触れもなく出てきたように見える。

    唐突なのは僕の考えではなく、僕の省略の仕方だ。

    だから、人と話すときによく聞く。

    なぜそう思うのか。

    反論したいわけではない。相手の中にもあるはずのBやCが知りたいだけだ。結論だけを見ても、その人が何を見ているのかは分からない。

    けれど、この聞き方は相手によってはっきり分かれる。

    少し考えて、丁寧に答えてくれる人がいる。そういうときは、こちらが想像もしなかった道筋が出てくる。

    一方で、防御に入る人もいる。責められていると受け取って、自分の意見を守り始める。

    たぶん、僕の聞き方の問題でもある。「なぜ」という言葉は、質問にも詰問にも聞こえる。

    それでも、聞くのをやめようとは思っていない。

    最後に、ひとつ。

    ニーチェは『道徳の系譜』の中で、ものを見るというのは常にどこかの位置から見ることでしかない、という趣旨のことを書いている。だから、その事柄に向けられる目が多いほど、より完全な像に近づく、と。

    僕が「なぜそう思うの」と聞くのは、相手を説得したいからではないのだと思う。

    目を、一つ借りたいだけだ。

    いくつかの流れが一つの光のところで出会う絵