ブログを始めることにした。
理由を聞かれたら、たぶんうまく答えられない。何かを伝えたいわけでも、誰かに読んでほしいわけでもない。
ただ、残しておきたかった。
写真は撮る。予定はカレンダーに入っている。誰と会って何を食べたかは、探せばだいたい出てくる。
出来事のほうは、残っている。
残っていないのは、そのとき何を考えていたか、だ。
三年前の春に何があったかは思い出せる。でも、それをどう受け取って、何が引っかかって、どう納得したのかは、もう出てこない。
その部分だけ、きれいに抜け落ちている。
もっとも、残らなくていい、という考え方もある。
忘れるから前に進めるのだし、昔の自分が何を考えていたかなんて、読み返したら恥ずかしいだけかもしれない。実際、たぶん恥ずかしい。
それでも構わないと思っている。
恥ずかしいということは、その間に何かが変わったということだ。何も変わっていなければ、恥ずかしくもならない。
だから、変わったとわかるように、変わる前のものを置いておきたい。
書くのは、たぶんどうでもいいことばかりになる。服のこと、恋愛のこと、週末のこと。
大事な場面では、人は少し取り繕う。どうでもいい場面では、取り繕う理由がない。
結論は用意しない。考えた順番のまま置いておく。
最後に、ひとつ。
ニーチェは『反時代的考察』の中で、忘れることのできない人間は幸福を見ることがない、という趣旨のことを書いている。
書き残すというのは、その反対をやっている気もする。
でも、たぶん逆なのだと思う。
頭の中に置いたままだと、いつまでも抱えていることになる。外に出してしまえば、忘れてもよくなる。
僕は、忘れるために書いているのかもしれない。

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