学生のころ、宇宙人と呼ばれていた。
悪口ではなかったと思う。ただ、言うことが突拍子もないらしかった。
みんなが話している流れの、少し横から口を出す。関係のないことを言い出す。そういう扱いだった。
今でも、たまに言われる。
ただ、僕の中では突拍子もない。
Aを聞いて、前に見たBを思い出して、両方に共通するCがあると気づいて、ではDはどうなんだろう、と考える。
そういう順番で頭が動いている。
ただ、AからDまでの途中を口に出さないだけだ。だからDだけが、何の前触れもなく出てきたように見える。
唐突なのは僕の考えではなく、僕の省略の仕方だ。
だから、人と話すときによく聞く。
なぜそう思うのか。
反論したいわけではない。相手の中にもあるはずのBやCが知りたいだけだ。結論だけを見ても、その人が何を見ているのかは分からない。
けれど、この聞き方は相手によってはっきり分かれる。
少し考えて、丁寧に答えてくれる人がいる。そういうときは、こちらが想像もしなかった道筋が出てくる。
一方で、防御に入る人もいる。責められていると受け取って、自分の意見を守り始める。
たぶん、僕の聞き方の問題でもある。「なぜ」という言葉は、質問にも詰問にも聞こえる。
それでも、聞くのをやめようとは思っていない。
最後に、ひとつ。
ニーチェは『道徳の系譜』の中で、ものを見るというのは常にどこかの位置から見ることでしかない、という趣旨のことを書いている。だから、その事柄に向けられる目が多いほど、より完全な像に近づく、と。
僕が「なぜそう思うの」と聞くのは、相手を説得したいからではないのだと思う。
目を、一つ借りたいだけだ。

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