二人が出てくる動画を、しばらく見ていた。
一人は、目に入ったものを忙しく説明する。もう一人は、そうそう、なるほど、ほんとに、と言う。
途中で気づいた。この人、それしか言っていない。
そこからは、そればかりが耳に入った。
苛立った。
もっと言えばいいのに。何か思っているはずなのに。隣で説明している人は、それで足りているのだろうか。
僕なら、割って入る。比べて、付け足して、別の見方を出す。そうしないと、聞いた気がしない。
ただ、画面の二人は楽しそうだった。
説明する側は、そうそう、と返ってくるたびに先へ進む。止まらない。足りていないようには、見えない。
足りないと思っていたのは、僕だった。
あの二人の間では、あれで足りている。足りていないのは、僕の側の何かだ。
では、あの人は何を考えているのか。
隣の話を自分でも比べているのか。何も比べずに聞いているのか。聞くだけで楽しいのか。
外からは分からない。
分からないから、また見ている。
最後に、ひとつ。
ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』の中で、他人に寄せる期待は、自分が自分について信じたいことを漏らしている、という趣旨のことを書いている。
僕があの人に求めたものは、僕が僕に求めているものだった。
それでも、聞きたい。
あの人はいま、何を考えているのだろう。

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